私の家庭環境は他と少し異なっている、
でも複雑とは違って、ほとんど気にせず育った。
今はたまに居るかもしれない別居婚
1990年代では珍しい
父は居るという認識だったけど、誕生日、クリスマスに来てくれるのが父なんだと
思っていた
楽しい時にしか来ないし、好きだった
母は看護師で優しい? 父は英会話教師で面白い といった印象
同じ市内に住んでいるのに友達には単身赴任だと説明していたし、
自分も何もおかしくないと思っていた
ちなみに最後にあったのは20歳の時ね
キーケースとかネックレス貰ったかなキーケースまだ使ってる私。物持ちいいわ
あの時はもっと可愛いのが良かったけど、どんどん大人になるにつれて好みドンピシャになった
これは流石血縁関係なのだろうか
子供心になんでうちは父が居ないのだろうとなんとか書いたノートがあった
何かとメランコリーな事を書きたがる子供だったかも
母はそれを見たらしいけど私には何も言ってこなかった
母の勤め先でバイトをした事がある
部下には夫婦と娘で住んでいるかのように話している
母の部下にキラキラした好奇心の目で
「お父さんとはどんな感じですか?喧嘩とかします?」と聞かれた
母のついた嘘?見栄?に私も付き合ったのだ
でも私も母も互いにその件について触れない
一緒に旅行も行くし仲良い親子みたいな感じだった
でもその様な複雑でデリケートな話には見て見ぬフリをして互いに
触れなかった 触れて何か嫌な思いをしたとかではない
幼少期から私は母のプライド?見栄?を理解し空気を読んでいたのだ
母に関する事、例えばタバコやめたら?などと軽く言うとする
母はすぐに「あんたには関係ないやろ」と言う
私はそれがすごく腹立たしく、拒絶に感じた
だから彼女のプライドやデリケートな部分に関しては触れない様にしていた
今思えば二人きりの母娘であっても何でも話せる訳じゃない
時には友人以下 私たち親子には何か互いに守っているもの、壁があったと思う
祖父が死んだ時母は創価学会に入った
私は小学生で訳がわかぬまま集会について行って、映像を見たり、本をもらったり
良くわからない人たちと接する事になって 非常に嫌だった
なんみょうほうれんげきょう そんなものを毎日唱えると幸せになるらしい
創価学会仲間の娘さんが癌になったが、完治したなどという話もあった
私は昔から知らない人と接するのが嫌いであったし、ましてや宗教など信じれないタイプであった
高学年になり、宗教の人たちが疎ましくなった
家に来ても居留守使ったり もちろん呪文は唱えたりしない
今思うと母は弱ると何か宗教みたいな物に物に頼りたくなるんだなと思った
でも母も飽き性だし、人付き合いは悪いから 宗教活動なんてすぐ終わったけど
その人たちはかなり諦めが悪かった
割と母に対しマイナスな感情ばかり書いたが、
子供心にすごく好きであったし、周りに自慢の母だった
私が小学生の頃には病棟師長をしていて、部下から慕われている姿をみていた
完全に母の影響で幼稚園の頃から看護師になりたかったし、母みたいになりたかった
管理職の母は授業参観には来れないし、忘れ物しても持ってくるなんてできない
家に帰っても居ないし、病気しても迎えに来てもらえず、自分で帰った
でもそんな母がカッコいいと思っていたし、他の母親と違っていいでしょって自慢げだった
でも高校以上になるとやっぱり考えの違いから、母が疎ましく、
母が母でなければ、母が看護師でなければと思う事も増えた
私は母に期待されていたが、応えられなかった 大学生にはなれなかった
言われてないけど、私大に行くお金はないと感じていたし、国公立だけだったけど無理だった
高校の頃から恋愛に目覚め、母に内緒で異性と会ったり、電話する事が増えた
夫婦関係が破綻している母に私は異性関係の話はしたくないとまた、空気を読んだのだ
だからか、バレなかった バレてたかもしれないけど、言ってこなかった
本当空気を読んで、互いに核心には触れない親子なんだなと思う
ずっと二人きりで過ごして来たのに 互いのことを知らないし 秘密の多い関係
そうなったのはきっと母のせいだけではなくて、私の性質も相まってだとは思う
今の性格はなんとなく自分で分かる気がするけど、、、、、
自分てどんな子供だったか?何を経てどうなったのか、自分はどんな人間かについて
言葉に表すのは難しい 苦手分野だ これがINFJの性質?笑
昔から占いの性格欄とか、性質調べのが大好きなのは、自分じゃ分からないからなのかも
ここまで書いて思うのは空気読む娘と秘密の多い母との生活なんだなと、、、
20代半ばごろから私たち親子関係はなんだか噛み合わなくなる
そんな理由が分かったきがした
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